僕にとって“慣らし保育”ってこんな経験
久米島に来ること自体が生活の大きな変化となったことは言うまでもありませんが、
大量の段ボールも片付かないうちに、
妻→中学校に勤務開始(※「地域おこし協力隊」として中学生の学習支援をする。久米島での妻の定職)
長女・次女→学童に登校開始
三女→保育園に登園開始
と家族が新しいスケジュールで動き始め、てんやわんやの鳥谷部家です。
今回は、仕事と生活を今までにない形で両立させる必要に迫られた僕の
新しい仕事の仕方と、そこから感じていることのレポートです。
長女・次女の経験で僕は保育園をよく知っていると思っていましたが、
三女にして初めてやっているのは「慣らし保育の送迎」なのです。
【慣らし保育とは?】
まず短時間の保育から始めて、子どもが段階的に環境に慣れるようにする期間があります。
これを一般的に「慣らし保育」と言います。
今、三女は8時半~12時半が慣らし保育時間になります。
上の子ふたりのときは当然のように妻が送迎をやっていた慣らし保育。
どうして夫である僕が当時その実行者にならなかったのかは何らか理由があったと思うのですが、
きっと、育休をとっていた妻がそれを担うのが当然、という夫婦間の(というか僕の強い)思い込みが
無反省に妻を実行者にしていたのだと思います。
しかし、8時半から夕方まで中学校に務める妻には、今はそれができない。
状況的に、今できるのは自分しかいない。
(でも、仮に妻ができるとしても、妻がひとりで担う役割ではない。
どちらがどれくらいやるのかの話し合いをして決めたいと思う。
それくらい僕も精神的に成長した、今は、たぶん。)
そして、三女の慣らし保育期間は、ランチ時間にお迎えし、自宅に戻り、おんぶをしながら仕事に戻る。
こんな感じになりました。
新しい行動は新しい感情を経験し、未開発の想像力を育てる素晴らしい機会だと思っています。
そうか、妻は育休復帰後、こういう慌ただしい毎日を過ごしていたのか。
世の中の多くの育休明け女性がこういう日々を過ごしているのか。
そんな発見があります。
妻の言葉としても、ママ友の言葉としても、こんな言葉を聞いたことがあります。
「泣きわめきながらしがみつく子供を引きはがして保育者に手渡す気持ちの痛みと、
仕事でも責任を果たさなければならない気持ちのせわしなさと、
それを同時に抱えるている朝の時点で、もう一日のエネルギーは消耗しきっている」
妻やママ友が感じている気持ちをそのまま経験しているわけではないけれど、
それが生み出される構造に身を置くことでそれに近い気持ちを経験し、
以前よりもリアルに想像できるようになったと思っています。
同時に、過去にも思いを馳せます。
こんなときの妻に、僕はどんな言葉をかけていただろうか。
胸を張れるコミュニケーションをしていたとはまったく思えません。
well-beingの研究では、
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生きていれば私たちは苦しみを経験する。
その苦しみを拒絶したり抑圧したりしてしまうと苦しみはさらに強くなる。(★)
ネガティブな感情には、そういう性質がある。
いいことが起こったときに私たちは喜びを経験する。
その喜びを誰かに語ったり味わい直したりすとことで喜びはさらにふくらむ。(☆)
ポジティブな感情には、そういう性質がある。
そんなふうに言われます。
(尊敬するポジティブ心理学者、タル・ベン・シャハー博士の言葉)
つまり、相手の気持ちに耳を傾けられるよい聴き手の存在は、
★に陥らないための助けとなり、☆を体験するための助けとなるのです。
このあたりのことは、ウィルグループでは「コーチング研修」で学び、実践力を高め、
感情面でのwell-beingをお互いに育てあえることを目指しています。
私たちは気持ちを持たずして生きていけない。
だからこそ、お互いにそれを大切にしあって生きていきたい。
在宅勤務が続き、家族がいつもよりも身近にいるからこそ、
家族の気持ちにいつもよりも寄り添い、耳を傾け、家族の感情のwell-beingを大切にしたい。
それが自分がよい仕事をし続けていく肝になるのではないか。
ネガティブな気持ちもポジティブな気持ちも伝染して、
スパイラル式に強化していくものだから。
ということを考えている“慣らし保育”でした。