well-beingについて、とても大切なものを理解した瞬間
自宅近くの展望台からこんな美しい景色(トップ画像)を見渡せることが僕の幸せです。
しかし、景色がいくら美しかろうと、人は便利な市街地に集まります。
それは日本全体を見ても、久米島という範囲で見ても、構造は同じこと。
僕の住む集落は、小学生に至っては全校生徒が11人にまで減っています。
久米島に住み始めて、僕のwell-beingに対する理解はどう変わっているのでしょうか。
これはそんなレポートです。
あ、その前に、well-beingがウィルグループにとって重要テーマであることから始めます。
ウィルグループは、人と組織、そして社会のwell-beingを実現することをミッションとして掲げています。
事業はあくまでも手段、大切なのはそのような世界を実現する私たちであること。
そのためにも、well-beingについて理解を深め、まずは自分の人生がそうであることを目指すこと。
それが経営から発信されているメッセージです。
ちなみに新型コロナが広がりを見せつつあるころ、社長から全社宛に少し長いメールが配信されました。
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・私たちにとって本当に大切なのは、売上ではなく、仲間の健康と命です。
・こんなときこそ、お互いに理解を示し、助け合いの気持ちをもって勤務してください。
・当社グループには様々な働き方の選択肢がありますので、上手に活用して下さい。
・幹部も無理をせず、そしていつも以上に部下のコンディションに目を向けてください。
・どんなに忙しいときにも、家族の健康状態にもしっかりと目を向けてください。
大切な人を大切にすることを最優先にしてください。
(一部を抜粋)
well-beingの観点から、そう言い切った経営陣に、
感謝と心強さ、信頼をより一層感じたのは言うまでもありません。
さて、本題ですが、久米島にきて早々、こんな出来事がありました。
移住への期待と同じくらいあった不安を消してくれるとても心温まる出来事です。
「家の前が明るくなってうれしいわ。子供の声が聞こえてうれしいわ。
引越しの手伝いはできないけど、せめて子供たちのおやつにして。」
と真向いに住むおばちゃんが、お手製のフライドポテトや黒糖くずもちを差し入れてくれたのです。
人がいる、笑い声が聞こえる、明かりがある、そんなことでも喜んでもらえるのかと、
都会では感じたことのない新鮮で温かい気持ちを感じました。
ところで、コミュニティのwell-beingには3つの要因があると考えられています。
そのうちのひとつに「存在論的安心」というものがあります。
何やら難し気な言葉ですが、シンプルに(僕の解釈を)言うと、
「自分が存在している感覚と周囲に受け入れられている充足感をともに実感できること」
だと僕は理解しています。
(※「存在論的安心」はイギリスの社会学者アンソニー・ギデンズの提唱した概念)
僕はおばちゃんの心づかいを「ありがとう」と受け入れる。
おばちゃんは笑顔を浮かべ「いいのよ、いいのよ」と返してくれる。
僕はおばちゃんを玄関先で見つけたら手を降って挨拶をする。
(おばちゃんは耳が遠くてうまく聞き取れない)。
おばちゃんも笑顔で手を振り返してくれる。
そんなやりとりに、僕はまさにこの存在論的安心
―自分は確かに存在しているし、受け入れてもらえていることの実感―
を得ているのだと思います。
おばちゃんにとっても同じ気持ちなのでしょうか。
これはコミュニティのwell-beingについてとても大切なものを理解する瞬間だと感じています。
・隣人とうまくやる
・そのためには心を開いてリアクションする
・ときにはちょとした会話で心を通わせあう
家族関係であれ、仕事関係であれ、ご近所付き合いであれ、
こんなことを自然とできるようになると、
私たちのwell-beingはより豊かなものになっていくのではないでしょうか。
今日も僕は、数少ない自分の隣人を大切に思う気持ちをもって、
テレワークをしていたいと思います。