仕事ができるって、生活ができるって、ありがたいという経験。
台風前夜、家を守るために集落の家々は要塞と化した
30日の昼頃からご近所さんが家の窓という窓に丈夫な木板を打ち付け始めました。
あっという間に家が箱というか要塞というか、一筋の明かりも入らないだろうものに変わりました。
その作業の手際の良さに、慣れているな~と感心すると同時に、(感心してる場合じゃない)
ベテラン久米島人が台風9号を待ち構える様子から、この台風の恐さが伝わってきました。
しかし、東京からの新参者が借りている家には、板と言えばまな板が2枚あるくらいなのです。
どうしようもないのです。
我々が来る前にもこの家はありました。10年以上空き家だったと聞いています。
その間も大きな台風は訪れていたはずなのです。
一体、大家さんはどうやってこの家を守ってきたのだろう。
不思議に思いながらも、我が家は自分たちでできる自衛に勤しみ、
窓のサンに内側から新聞紙を隙間なく詰め込みました。
暴風で雨風が吹き込んできて家の中が水浸しになるというからです。
台風当日、その風の強さに肝を冷やした
31日の昼頃から、風が強くなり始めました。
絶対に外には出るな、窓から離れろ、と先輩久米島人は忠告してくれました。
しかし、我が家の庭で奇妙な音が響きました。
養生テープを貼った窓から庭を覗くと、まさかのペンキのふた。
外にあるものは全部家の中にしまえ、と言われていたにもかかわらず、
縁側の下の奥の方に入れておけば大丈夫だろう、と僕が横着したばっかりに、
その後訪れる本格的な暴風に比べればかわいいようにも思える風が、
ペンキのふたを巻き上げてひょっこり庭へと連れ出していたのです。
雑巾が窓に当たるだけでも窓が破壊されるほどの風になると聞いていました。
ペンキのふたはさすがにやばいだろう~(自分が蒔いた種なのに客観的すぎる)
と思った一瞬間後、やっぱりやばいことに気がつき、それは自分が蒔いた種ですから
「ちょっと海猿っぽいことしてくる」と家族に伝え、アロハシャツを脱ぎ、
サーフパンツ1枚になって(いつもサーフパンツをはいている)勝手口から外に出たのです。
普段それなりに運動をして足腰を鍛えているはずが、立っていられないのです。
この風は命にかかわる。感じたことのない恐怖が湧きあがりました。
外に出てはいけない。こう言われる理由が身をもってわかりました。
ペンキのふたは、それでもしっかりと救出しました。
23時37分から、41時間の停電が始まった
いよいよ強くなる風がうるさくて、なかなか寝られないのです。
飛行機が離陸するときのゴーというような音が、家の上からも横からもずっと聞こえるのです。
それが直線的な音ではなくて、渦を巻くようにして響いてくるのです。
これか~沖縄の台風というものは。と思っていたら、
暗闇でスマホを見ていた妻が、まだこれからみたいだよ、と言うのです。
これじゃないのか~沖縄の台風というものは。と思っていたら、
視界のすべてが漆黒へと変わりました。
ついに停電が訪れたのです。
スマホで時間を確認すると23時37分でした。
その瞬間から、いったいいつになったら復旧するのだろう、と心配になりました。
この集落は島の隅っこにあるから、数日かかるかもよ。
先輩久米島人からはそう言われていたからです。(かつてそういうことがあった)
停電後、すぐに感じた不便は冷房が使えないことでした。
真夏の沖縄で、窓も開けられない状態で、冷房が止まりました。
子供たちは暑さのあまり汗をかきながら目覚め、
団扇で交代で風を送りながらウトウトを繰り返し、朝を迎えました。
深夜、家の中を懐中電灯でパトロールすると、オフィス(僕の仕事部屋)と
ダイニングが水浸し、そしてどこから入り込んだのかカタツムリが-。
生き延びようと思えば、ガラス一枚なんとかして通過してくるカタツムリの
生命力を感じずにはいられませんでした。
社用iPhoneを生き延びさせることだけに努める
9月1日、台風真っただ中、FCT幹部向けのコーチング研修が予定されていました。
石川MGRからは「生きることを最優先にして研修は延期でもOKです」と言われていましたが、
家族も生きている、おそらく家屋も大丈夫だと思ったので、変わらず実施しました。
しかし、この研修がいつもと違うのは、僕はiPhoneのみで行うこと。
自宅のインターネットに接続できないなか、頼みの綱は4Gだけだったのです。
僕のカメラはOFFにさせてもらい、参加者の声だけを聴きながら、
Teams会議を使ってコーチングのレクチャーをしました。
普段、コーチングは基本電話で行うので、僕に違和感はありません。
とは言え、ずっと気になっていたのはiPhoneのバッテリー残量だったのです。
減り続けるバッテリーが余命のような感覚でした。
「使命」とは命を使うと書きますが、まさに命を使っている感覚。
1%のバッテリーの重みをこれほどまでに感じたことはなく、
普段の最高の仕事は潤沢な電力によって支えられていることを痛感しました。
研修は無事終了、しかしiPhoneの充電もすでに終了間近。
ポータブルバッテリーから補充し、私用PCから補充し、社用PCから補充し、、、
なんとか仕事をすすめる一日となりました。
没頭・熱中するものがあることが困難を乗り越える一番の力
僕が仕事をしている傍ら、蒸し暑くて暗い家の中で妻と3人の子供はというと、、、
長女(10)と次女(6)は、それぞれのiPadでプログラミングに没頭していたのです。
ちょっと目を休めるために休憩させると、暑いーと愚痴っぽくなるのです。
しかし、画面を見ているときは、呼び掛け声さえも、おそらく風の音も、耳に届いてないのです。
ああ、どんなときでも、自分が没頭・熱中できるものがあるっていいなあ。
子供たちの姿を見ながら、そんなことを感じさせてもらいました。
妻は、大沢在昌の「新宿鮫シリーズ」に薄暗い窓際で三女をあやしながら夢中になっている。
台風さ中の現実もかなりなハードボイルドですが、彼女にとってハードボイルド小説は
夢中になれる対象なのです。
また、刻一刻と温度が上がっていく冷蔵庫・冷凍庫の中身をあれこれ思いめぐらして、
そうだ今日のご飯は〇〇から食べよう、とか言っているのです。
うなだれそうなときに、自分の力で自分を満たせる家族であることに家族の力を感じました。
しかし、三女はこの短い時間で汗もが顔と体に広がり、
こればっかりは物理的な力が必要だなあと、一刻も早い電気の復旧を待ち望みました。
停電のなかに突如現れた神様
9月2日、だいぶ風も収まった早朝、お向かいさんがやってきて
「電気分けるぞ」と言ってくれたのです。
?????なわけです。同じ集落に住んでいれば同じく停電。
分けるって?と思っていると、その庭で大きなエンジンが鳴り響き始めました。
この家には自家発電のエンジンがあったのです。
「子供に扇風機を回してあげて。あとは冷蔵庫を守れ。」
普段、挨拶をしても、「ああ」とか「うん」としか言わない寡黙なおじちゃんが、
うちの家族のために(もちろんご自宅のためにも)電気を起こし、分けてくれる。
これには心の底からの感動と感謝が湧きあがりました。
お向かいさんの庭から延長コードをつなぎつなぎ、道路の上もつなぎつなぎ、
我が家に電気がやってきて一部家電が復活した感動と感謝は忘れられないでしょう。
iPhoneの充電も尽きかけていたそのときの、まさに救いの手だったわけです。
おかげさまで、2日に予定していたCON幹部4名へのパーソナルコーチングは完了。
おじちゃんの発電に、ウィルグループの人材開発は助けられたのです。
停電後に浴びたシャワーは心の底から気持ちよかった
2日の夕方、待ちに待った電気の復旧。
停電でボイラーがつけられない間は、水浴びをして過ごしました。
夏の水浴びは気持ちよさそうと思っていましたが、シャワーに替えるには冷たく、
子供たちは悲鳴を上げながらあっという間に浴び終わっていたものです。
三女は水浴び後から鼻水です。
毎日浴びていたシャワーってこんなに気持ちいいものだったんだ。
子供たちと感動し、盛り上がりました。
今日からは、再び台風によって断線しない限り、
シャワーを浴びられて、冷房をつけることができて、照明のもとで夜も本を読めて、
iPhoneの充電も存分にできて仕事の心配もしなくてよくて、、、
電気を失う生活を少しでも体験したことで日常の当たり前がありがたく感じられました。
今ある日常生活が、日常であるということが、とてもありがたい幸せなことだったのです。
同じ日本にも、世界にも、これ以上の困難を日々経験している人がいます。
そのような人と比べてしまえば、薄っぺらい経験であることはわかりますが、
自分に訪れた経験から、幸せやwell-beingであることの理解や体感が
今まで以上に深くなった気がしています。
幸せは目指すものではなく、今もう幸せなんだということに気がつけばそれでいいのだと思います。