#5 SalesMediaの『ゼロイチ』どうやって運営体制を整えたのか
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こんにちは!セールスアシスト事業部セールスソリューション営業部の高橋です!
私はこのセイヤクPRESSで『SalesMedia』を紹介しています。
第2回目の今回はメディアを立ち上げた背景や苦労などを、当時SalesMediaを担当されていた、
現WRKスタッフマーケティング部部長/笹沼孝仁さんと、現WRKセールスアシスト事業部営業推進部営業推進2Gリーダー/菅知佳さんにインタビューしております。
2人とも顔出しNGとのことで全員の顔を植物マニアの髙橋が、ご本人イメージの植物に勝手に替えております。
事業部の思いからスタート
「やってみよう」精神から生まれたSalesMedia
髙橋:早速ですが、SalesMediaをスタートさせた「きっかけ」をお伺いできればと思います。
笹沼:営業支援事業『セイヤク』を拡大していきたい、という目的のために始めました。当時プッシュ型の営業がメインだったのですが、プル型施策を始めたい要望もあり、そのなかでコンテンツマーケティングを取り入る案がでました。独自のメディアをもってお役立ち記事を公開し、その記事のリンクからお問い合わせにつなげるイメージです。当初はメディア運営のノウハウもなく、まずはウィルオブ・ワークで運営している採用ジャーナルに営業関連の記事を載せてみようとなりました。
髙橋:ありがとうございます。はじめは採用ジャーナルに記事を載せるところから始められたんですね!
驚きました!採用ジャーナルから独立して自分たちのメディアを立ち上げる判断に至ったのは、どういった背景があったのでしょうか?
笹沼:そうですね。当時の状況からお伝えすると、この事業を開始した当初は、クライアントからの問い合わせが月に2‐3件程度で、5件でも取れた時はすごく嬉しくてチームで喜びました。
しかし到底目標には届いておらず、問い合わせをもっと増やす施策が必要でした。そこでプル型施策として採用ジャーナルへの記事掲載を始めてみたところ、お問い合わせを月10件程度いただけるようになりました。最終的に採用ジャーナル時代は一ヵ月に30件程度のお問い合わせになっていたと記憶しています。
ここでメディアへの記事掲載という施策での効果を実感しました。
ただ、採用ジャーナルの読者は主に企業の人事採用の担当者を想定しており、我々がリーチしたい営業責任者とはズレがありました。我々が目指したのは、“営業支援”のカオスマップのど真ん中に「セイヤク」があるという状態です。だから、もっと効率的に必要な層にリーチするためには “営業”に徹底的にフォーカスしたメディアを自分たちで運営することが必然だという結論になりました。
100本の記事を書くために、「得意を活かした分業」を行いました
髙橋:SalesMediaが生まれた瞬間ですね!前回投稿した内容の通り、自分も営業の知識をアップデートするために活用させていただきました!ここからは、どうメディアを作っていったかをお伺いしたいです。メディアを一から立ち上げる中で大変だったことは何ですか?
笹沼:そうですね、大変だったことは主に、「SalesMediaだけに時間を使えない」、「オウンドメディアの立ち上げや記事作成などメディア運営が未経験」、「どうやって目標記事数100本を書くのか」の3点です。
SalesMediaは笹沼と菅さんの2名で運営することになりましたが、2人ともSalesMedia以外のタスクを持っていて専任ではありませんでした。菅さんであればツール管理のタスク、私は採用のタスクがありました。その傍らで記事を書かなきゃいけないと。まあ、これは本当しんどかったですね。時間どう作んねん!みたいなのが大変でした。そもそも僕も菅さんもメディア運営の経験者ではない状態で、強いて言えば、菅さんが過去、ライティングに触れていらっしゃったぐらい。僕なんか、活字なんて久しく読むことがなかった状態からスタートして、まさに手探りでしたね。
記事を多くの方に読んでもらうためには、コンテンツSEOの観点でライティングしていく必要があり、このコンテンツSEOにおいては、「記事の多さ」と 「記事の内容」の2軸が重要になります。
例えば、Google検索した際に、検索結果に自分たちの記事が上位に表示されるためには、
・「記事の内容が、その検索ワードに対して最も適した内容である」と、Googleに評価されること
・「信頼のおけるWEBページである」とGoogleに評価されること
この2点がとても重要です。
この評価を得るためには「記事の質」と「記事の多さ」を担保しなければなりません。この作業が非常に難しく断念している企業も多いです。
髙橋:SalesMediaと今の私を比べるのは申し訳ないですが、記事を書いていくのって難しいですね。
当時の記事の目標は何本だったのでしょうか?
笹沼:記事100本ですね。採用ジャーナルから持ってくる既存記事が約30本あり、新規記事70本を合わせれば100本になるぞと、単純に計算をしました 。笑
本来ならゆっくり書き進めても良かったかもしれませんが、1週間で10本の新規記事の作成をして100本を2ヶ月以内に投稿しようと期日設定をしました。ただ、記事作成時点では成果が見えないから、「果たして本当に問い合わせ数に繋がるのか」 と、先の見えないマラソンのようで、かなりしんどかったです。
髙橋:日割り換算すると1日2本のペースじゃないですか!とんでもない算数ですね!
記事作成の行動量や質を確保するためにどのような工夫や意識をされたのでしょうか?
笹沼:“意識”の話になると 、どうしても「やる気」ということになってしまうので、「仕組み」でどう工夫をしたかの話をしますね。
まず分岐点だったところを振り返ると、菅さんと分業をはじめたことです。はじめは2人で各々が記事を書いていたのですが、「効率悪いね」って気づいたタイミングがありました。人それぞれ得意なことってあると思うのですが、記事を書くことにおいても、得意不得意が現れるのです。
・書くスピードは速いけど、内容の質が落ちる人
・書くスピードは遅いけど、内容の質が高い人
上記で言うと、私は前者で菅さんは後者。それならば、まず大量の記事の土台を私が作り、それを菅さんにパスして菅さんが内容を磨く、という形をとればお互いの得意を活かしながら質の高い記事を量産できると気づきました。
髙橋:お話を聞いていると、私は両方苦手なタイプです。記事作成のプロセスを分担した結果、どのように改善が見られたのでしょうか。
菅:行動量の改善も進んでいったのですが、振り返るともう一つ大きな効果として、心の負担が軽くなりましたよね。
笹沼:そうでしたね。社外向けの記事を書くということは、とても大変なことです。向き不向きが合致した分業体制で心の負担が軽減したと思います。目標達成に向けて試行錯誤する中で、「分業」がブレイクスルーの鍵でした。
続く。
今回はどうやってメディア運営の体制を整えたのかについてお伝えしました。
次回は、より良いメディアを目指すために行っていた「施策」や「視点」についてのお話をお伝えします!
乞うご期待